オンライン飲みをしてみた!


流行り病なんて言葉は小説の中でくらいしか見かけた事がなかったが、いざ流行り病が蔓延する今を過ごしていてもやはりというか何というかピンとこないもので。フィクションの、例えば海外のゾンビが出てくるドラマとかはゾンビになる病が流行り、人は食料を確保しようと物資の取り合いになり、争いが起こる。と、ここまでは想像できるが、実際現実ではトイレットペーパーとマスクの奪い合いになるのには事実は小説より奇なりというか、なるほどなぁと感想が出てくるだけで、それに参加しようとは思えなかった。


僕が住む地域は全国で感染者数が1位らしいし、喫煙者は病にかかると重症化するリスクが高いらしい。僕はこれまでに縦隔気腫と肺気胸という病気にかかったことがあって、それも病とは相性が悪いらしい。


とはいうものの、人は簡単には生活を変えられるわけはなく、仕事があれば出社はするし、普段より暇なので煙草の量は増えた。

流行りに乗れないのは今に始まった事ではなくて、僕は中学生の頃から周りがリップスライムオレンジレンジを聴いてる中一人で90年代グランジロックを聴いていた。それを深く考えたことや、疑問に思ったことはない。僕のようなタイプはクラスに何人かはいるし、パールジャムのVsはなによりもクールなアルバムだからだ。

そして最近流行っていてよく耳にするのはオンライン飲み会、ズーム飲み会というもので、俺はこのズーム飲みというやつを批判したくて筆を取ったわけだが、導入が雑だっただろうか。チグハグな文章になっていて読みにくかったのなら申し訳ない。ちなみに今に始まった事ではないが、僕、俺、我、など一人称がコロコロ変わるのはわざとやっている。基本的には僕を使うときが頭(こうべ)を垂れながら姿勢を低くし相手の顎(ちん)にアッパーを入れようとしているときで、俺を使うときは相手のガードの上からパンチを叩き込もうとしているときだ。これも、読みにくい要因となっていたのなら申し訳ない。


さてズーム飲みであるが何度か誘われた。本当に嫌だったのだが、本当に嫌だったので普通に断っていたのだが、断りにくい関係もある。このズーム飲み、自室で行うという性質上、断りにくい。どうせ家にいるならできるじゃーんということらしい。

カスが。と思う。自室という、絶対不可侵、なによりも尊く豊かである自室で過ごす時間を侵食する重大さに気付いた方がいい。バイオハザードセーブポイントでインクリボンを使ってセーブしている最中にゾンビが襲ってくるようなものだ。俺は飲み会に誘ってくるやつをゾンビだと思っている。ゾンビが扉を開けて入ってくるなよ。繋がりに飢えたゾンビがよ。

だが、傷がないまま死ねるか?とタイラーダーデンも言ったように、やって初めてわかることもある。だからやった。俺は傷を受けに参加したのだった。

してゾンビ飲みであるが、普通の飲み会とは勝手が違う。店にいかないということは、飲み物も食べ物も自分で用意する必要がある。この点は問題なかった。僕は普段から家で飲む機会が多いので発泡酒エヴァンゲリオンミサトさんちの冷蔵庫くらい常備してあるし、つまみは最悪 塩でいい。問題なのはその次である。「それは今、何飲んでるの?」画面の向こうの相手は指をさし、聞いた。誰に?僕に。


あ? と思った。

別に、何を飲んでたって良くないか、と口から出そうになったが同時になるほどなと思った。つまり、自分で飲み物も食べ物も用意する関係上、相手はわからないのだ。店なら声に出して注文するから何を飲むかは周知。なるほど。そこまですぐに理解できたが、嫌悪感で鳥肌がブワァとたった。俺は酒をお酒、飲むを呑むとぬかすような大学生が嫌いなのだ。というか大学生が嫌いなのだ。LINEやってる?の嫌悪感に近いものが、何飲んでるの?にはあった。指をさして聞いてくる画面の向こうの相手が、血を求め両腕を力なく上げながらにじり寄ってくるゾンビに見えた。

ゾンビ飲みは店などで予約を取る必要はないため、開始時間もアバウトになる。2時間制だからと気を使う必要はないということは逆に何時から来てもいいわけで、俺はこの全員が集合するまでの微妙に気不味い時間を少ない弾薬で迫りくるゾンビの頭を撃ち抜きながら耐えていた。そして全員集合し、ようやく始まった。


陰キャラ、陽キャラという言葉が定着したのは最近であろうか。あまり好きな言葉ではないのだが、その言葉を借りると僕は陰も陽も大切だと思っている。自分と向き合い、思考を深める時間も、他者と付き合い、相手を理解し自分の中に落とし込む時間、その両方とも欠けてはならないと思っている。タウカンのロゴみたいな感じだ。

これは僕の悪い癖であるが、大人数が盛り上がっていると黙るというのがある。考えてみて欲しい。例えばキャンプで火を起こすとする。着火剤、配置、あおぐ、火の神に祈る、舞を踊る、薪をくべる、と火がつくまではやる事が多いが火がついてからはやる事はない。眺めるだけである。大人数の会話も同じで、盛り上がり始めたら僕が何かを言う必要はなく勝手に盛り上がる。だから眺めている。何なら熱いから少し離れたところから見ている。ゾンビ飲みの際も会話が盛り上がっていたので眺めながらコーヒー片手にCHILL

していたのだが、さて盛り上がりも収まり始めたので薪でもくべようかとすると数人がいなくなっていた。

トイレに行ったのかとしばらく様子を伺っていたがそうではない。曰く、ゾンビ飲みは店とは違い常に顔を向き合わす必要はなく、時間制がないのをいい事にダラダラと、特に何をする時間もないことがあって、しかしてそれで良いのだ、という。つまりは彼らにはそれがCHILLであって、オンラインの利点なのだ、という。

話を少し戻して陰と陽の話をする。飲み会とは間違いなく陽に分類される行事であろう。他者と付き合い理解する時間だ。だがゾンビ飲みは向き合う必要はない。かといって陰、何をしてもいいんだよと言われ、ここで僕が自分を深める為にかぐや様は告らせたい?〜天才達の恋愛頭脳戦〜を大音量で視聴していいかというと当然そんなわけはなくなぜなら人の目があるからである。恥ずい。というか大概において陰、自分と向き合う時間というのは自分ひとりで行うものであって、誰かに見られたりするものではない。

「どうですか、今度映画でも」

「ごめんなさい、本当に観たい映画は一人で観ることにしているの」

「あまり観たくない映画は?」

「観ないわ」

である。

ゾンビ飲みは陰でも陽でもない。ただ訳もなくゾンビが徘徊してるだけである。

思わず「え?これ今なんの時間すか」と言いかけて自分には向いていないと悟り通話を切りテレビをつけた。画面に映る早坂愛はそんな自分を見透かすような笑みを浮かべたが、それを言うことはなく、僕も何を言うわけでもなく半分以上残った金麦を飲むのだった。